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大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)4324号 判決 1955年4月26日

原告 株式会社森本組

被告 平野斎一郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告は、原告に対し金二三一、五〇〇円及び之に対する昭和二八年一〇月二日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払へ、訴訟費用は、被告の負担とするとの判決並に仮執行の宣言を求め、其の請求原因として、「原告は、別紙<省略>第一号物件目録記載の家屋(以下単に第一家屋と称す)の所有者で、之を原告会社の社員の宿舎として独身社員を十名位居住させ、訴外鳥井卓をして其の管理をなさしめていた。被告は、別紙第二号物件目録記載の家屋(以下単に第二家屋と称す)の所有者であり、訴外中田政吉は其の賃借人である。即ち、訴外中田政吉は、同家屋の占有者であり、且つ、家屋所有者たる被告の為めに代理占有中のものである。第一家屋と第二家屋とは隣接していたが、第二家屋は、かねてから朽廃し倒壊寸前の状態にあつたので、原告は、再三、被告及び中田政吉に補強方の注意をしたにかかわらず、被告は速かに取毀つか、補修工事をするかしないで、そのまま放置していた。然るところ、昭和二八年六月六日午前一時三十分頃第二家屋が、南方に倒壊して第一家屋に崩れ落ち、このため第一家屋全体が北に傾斜し、その柱を折り、小屋組を相当痛めつけ、内二坪は屋根完全破損、落壁、器物破壊、約二坪半は倒壊家屋の一部が崩れ込み内部は完全破損して使用不能になり、これに伴ひ約七坪の個所は壁に亀裂を生じ、内法材折損し、天井板が破れ、その一部は板塀に突入し約三米を倒壊して庭に侵入した。このため第一家屋は、全部に被害を受けたが、特に北側の三分の一は著しい損傷を受け、その一部は部分的解体の上、新材補足修理を要する状態となつた。この被害による損害額は、別紙計算書記載のとおり合計金二三一、五〇〇円であり、原告は、同額の損害を被つた。そして、右損害は、前記の如く被告所有の第二家屋が、倒壊寸前にあつたに拘らず、適当な処置がなされなかつたことに基因し、結局、同家屋の保存に瑕疵があつたため惹起したものであるから、被告は、その所有者並に間接占有者として、民法第七一七条の規定に依り、右事故に因り生じた損害を賠償する責任がある。右の如く被告は、第二家屋の所有者兼間接占有者として責任があるばかりでなく、次に述べるように、民法第七〇九条の規定に依り不法行為者としての責任がある。家屋の所有者は、常に該家屋を適当に維持する責任がある。即ち、建築基準法第八条の規定に依ると、建築物の所有者、管理者又は占有者は、その建築物の敷地、構造及び建築設備を常時適法な状態に維持するように努めなければならないこととなつている。右義務は、法定の義務であるが、法律の規定がなくても、建物の所有者に同趣旨の義務があることは当然である。特に、本件第二家屋のような危険状態に在つた建物を所有する者は、その維持保存につき高度の注意義務を負担しているのである。被告は、第二家屋が、損壊し傾斜し何時崩壊するかも知れないような危険を感じて居たに拘らず、之を修理せず放任していたことは、建築基準法第八条の規定に依る建物の維持保全の義務を怠つていたものであり、又右法律の規定がなくても、危険物所有者として当然為すべき注意義務を怠つたものであるから、民法第七〇九条の規定に依り、前記損害の賠償義務がある。仮に、被告主張の如く被告が第二家屋の所有権を中田政吉に移転したとしても、被告は、その所有者当時に於ける前記の過失について不法行為上の責任があるのであるから(宗宮信次著債権各論四三四頁参照)、第二家屋の所有権を移転したことによつて、その責任を免れるものではない。殊に、中田政吉は、無資力であり、直ちに第二家屋を取毀つ見込がなかつたに拘らず、被告は、第二家屋を急速に取毀つべき確実な手段を講ぜず、漫然成行きに任せて家屋材料(取毀ち後のもの)を中田政吉に贈与したもののようである。之は、被告としては、危険物の取扱について甚しく注意義務を欠いていることとなるのであつて、かかる事情の下に於いては、被告の不法行為上の責任は、更に一層その度を加えるものと考えられるから、単に此の事実のみでも、被告は、不法行為上の責任を免れない。そこで、原告は、被告に対し、金二三一、五〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和二八年一〇月二日から完済に至る迄年、五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」と陳述し、被告の抗弁に対し、「第二家屋の倒壊の直接原因が、昭和二八年六月六日台風第二号によるものであることは之を認めるが、第二家屋は、当時既に倒壊寸前の状態にあつたもので、右台風第二号によつては近隣の家屋に倒壊したものがなく、右家屋のみ倒壊したのであるから、右倒壊は不可抗力によるものではなく、建物の保存の瑕疵に基くものである。次に、被告が中田政吉に第二家屋を贈与した旨の主張事実は之を否認する。第二家屋は、被告の所有であつて、このことは、登記簿上明らかである。仮に、取毀ちの目的のため贈与した事実があつても、それは取毀ち完了後における材料を贈与するいわば停止条件付の材料の贈与であつて、家屋自体の所有権が直ちに移転するものでなく、取毀ち完了迄は被告の所有に属する。従つて、本件の場合倒壊家屋の所有権は被告にある。仮に贈与と共に同家屋の所有権が直ちに訴外中田政吉に移転したと仮定しても、その旨の登記がないから原告に対抗し得ない。民法第一七七条は、不法占拠に基く損害賠償請求については其の適用を排除さるべきであろうが、本件の如き家屋の保存に瑕疵あるが為め他人に損害を加へた場合に関しては適用さるべきである。」と述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、「原告の主張事実中、第一家屋が、原告の所有であること、昭和二八年六月六日台風第二号により、第二家屋が崩壊したこと、右崩壊当時訴外中田政吉が、之に居住していたことは、何れも之を認めるが、其の余の主張事実は之を否認する。第二家屋は、被告の所有するものではなく、訴外中田政吉の所有するものである。即ち、第二家屋は、被告が、大阪市西淀川区出来島町七番地の三三の土地を買受けた際、その地上に存在する附属物として買受けたものであるが、家屋としての価値がないので、被告は、これを取毀ち土地を利用せんとしていたところ、戦災で住居を失つた中田政吉が、第二家屋に住み込み、被告の土地利用を妨げたので、昭和二七年五月被告は、前記中田と話合の結果、右家屋を取毀ち他に移転する約束の下に同人に贈与したものであつて、その後中田はその固定資産税の支払もなし、近く取毀ちの上、他に適当な場所を見つけて移転する予定であつた。被告としては、近く中田が、取毀した上他に移転する心積であつたから所有権移転登記をしなかつたのである。然し、登記名義が被告の所有になつていても民法第一七七条の規定は本件の場合に適用さるべきではない。民法第一七七条は、同一不動産に競合する物権又は物権的効力ある権利相互間の優劣を決定する場合で登記の有無が問題となる場合に適用されるのであつて、登記簿上の記載を信頼して取引したものを保護せんとする取引法的な規定である。然るに民法第七一七条の工作物の所有者の責任は、登記簿の記載を信じて取引した第三者に対する責任ではなく、登記の有無にかかわらず、実質上の所有者に対し負担せしめた不法行為上の責任であつて、本件の如く取引法に関係を有しない事項については、民法第一七七条は全然適用を見ないのである。更に、本件家屋の倒壊は、昭和二八年六月六日台風第二号のための不可抗力に基くものであつて、かくの如き場合には、民法第七一七条の規定に基く所有者の無過失責任を負担しないのである。以上の次第であるから原告の請求は理由がない。」と述べた。<立証省略>

理由

第一家屋が、原告の所有に属し、第二家屋に訴外中田政吉が、住居していたこと、両家屋は隣接していたところ、昭和二八年六月六日午前一時半頃第二家屋が倒壊したことは当事者間に争いがない。証拠保全による証人鳥井卓、同角谷健次の各証言及び検証の結果を綜合すれば、原告は、第一家屋を原告会社の社員の宿舎とし、社員数名を居住させ、訴外鳥井卓(原告会社の社員)を管理人として管理せしめて居たこと、第一家屋は、北方向から隣接せる第二家屋が、前記のように倒壊したため、異常な衝撃を受け、部分的に直接大破損を受けると共に、建物全体が急激に傾斜し、それに伴ひ、内外壁、柱等の亀裂剥脱等の損傷を生じたこと、その修理復旧には屋根の葺き直し、建物の主体構造の歪み補強、破損材の取り換へ等を為すことを要することが認められる。原告は、被告は、前記の如く倒壊した第二家屋の所有者であり、且つ、間接占有者であつたのであるから、民法第七一七条の規定に依り、原告に対し損害賠償の義務があると主張するので、先づ、此の点につき判断することとする。第二家屋は、倒壊した当時登記簿上の所有者名義が、被告名義となつて居たことは、被告に於いて明かに争わないところである。しかし、不動産に対する登記は、不動産物件の得喪変更があつた場合の対抗要件に過ぎないことは勿論であつて、登記名義人が必ずしも実質上の所有者であると謂うことはできない。証人村居利一、同亀屋荘次郎、同小笠原[月屯]の各証言によると、被告は、訴外大阪冶金工業株式会社の代表取締役で、大阪市東淀川区出来島町七番地の三三宅地及びその地上の第二家屋を買受け、右会社の寮として使用する予定であつたが、右会社が戦災を受け、使用人も少くなつたので戦時中空家としてあつたこと、中田政吉(昭和二九年四月一一日死亡)は、右会社に出入していた請負業者であり、戦災を被り住居に困つていたので、被告に懇請して、第二家屋に無償で居住させて貰つていたこと、第二家屋は、相当古い建物で朽廃していた上、数度の水害の為被害を受け、大修理をするか、取毀つかしなければならぬ状態となつて居り、被告としては、之を取毀ちその敷地を訴外会社の為に使用する計画を樹て、昭和二六年初頃から明渡を求めたが、同人は立退料を要求して之に応ぜず、一方被告は、第二家屋の固定資産税を支払わなければならぬのに、中田政吉からは賃料を取得することができないので、同年五月頃、前記訴外会社に被告及び中田政吉、訴外会社の社員小笠原[月屯]、亀谷荘次郎、村居利一等が会合して、被告から中田政吉に対し、第二家屋を中田政吉に於いて自己の費用で直ちに取毀ち、その敷地を明渡す約束で贈与し、その後は、被告名義で賦課される固定資産税を中田政吉が負担することとなつていたこと、しかるに、中田政吉は、約旨に反して取毀ちを遅延している内に、昭和二八年六月六日第二号台風の際(第二号台風の際に倒壊したことは、原告の認めるところである)本件第二家屋が倒壊したことを夫々認めることができる。そうすると、第二家屋は、右贈与に因り、その所有権は、実質的に被告から中田政吉に移転したものと謂うべきである。原告は、家屋を取毀つ目的で所有権を移転する場合には、取毀ち完了後における材料を贈与する趣旨即ち停止条件附材料の贈与であつて、不動産としての建物を贈与するものではないと主張するが、建物を不動産として贈与するか、取毀ち後の材料を贈与するかは、固より当事者の意思従つて契約内容によつて決定さるべきものであるが、前認定の贈与の事情及びその約定からすれば、取毀ち後の材料の贈与ではなく、第二家屋を不動産として贈与したものであることは明らかであるから、原告の右主張を採用することができない。次に、原告は、仮に、被告から中田政吉に対し、第二家屋を贈与したとしても、その旨登記手続を経由していないから、右贈与を以て原告に対抗し得ないと主張し、右贈与に因る所有権移転登記手続を経由していないことは、既に認定したとおりである。しかし、民法第一七七条の規定は、取引法的な規定であつて、同一不動産上に競合する物権又は物権的効力のある権利相互間の優劣を決定する場合に登記の有無が問題となり、同一不動産に対し取引関係に入つた者に対しては、登記なくしては対抗し得ないとなすに過ぎない。しかるに、民法第七一七条所定の所有者の責任は、登記簿上の記載を一応信じて取引した第三者に対する責任ではなく、第一次的に占有者、第二次的に登記の有無に拘らず、実質上の所有者に負担せしめる不法行為上の責任であつて、本件の如く不動産の取引に関係のない場合には、民法第一七七条の規定は適用がないと解するを相当とする。又之を他の方面から考えて見るに、民法第七一七条第一項は、「土地の工作物ノ設置又ハ保存ニ瑕疵アルニ因リテ他人ニ損害ヲ生シタルトキハ其工作物ノ占有者ハ被害者ニ対シテ損害賠償ノ責ニ任ス但占有者カ損害ノ発生ヲ防止スルニ必要ナル注意を為シタルトキハ所有者之ヲ賠償スルコトヲ要ス」と規定し、同規定によると、不法行為の特別の場合として、土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があり、之に因り他人に損害を与えた場合には、その損害の賠償を為す責任を負う者は、第一次的にはその工作物の占有者であり、占有者に免責事由がある場合に、その所有者が第二次的に無過失賠償責任を負うものであることは、明らかである。同条の趣旨は、工作物の保存管理に最も密切な地位に在る者に先づ責任を負わしめんとするものである。不動産につき、所有権の移転があり、その引渡を了した場合には、未だ登記を経由しない場合に於いても、旧所有者は、該不動産に対し既に管理及び処分権を失い、新所有者が之を取得することは明白であるから、民法第七一七条の前記趣旨からすれば、登記を経由しないことを理由に旧所有者に不法行為上の責任を負わしめることは、同条の趣旨に反し、且つ、旧所有者に難きを強いるものである。そうすると、第二家屋につき贈与による所有権移転登記がなくても、被告は、右所有権が、中田政吉に移転して居り、自己は実質上の所有者でないことを原告に対し、対抗し得るものと解するを相当とするから、原告の前記主張を採用することができない。そして、第二家屋が倒壊した昭和二八年六月六日当時の右家屋の占有者兼実質上の所有者は、中田政吉であつて、(従つて、民法第七一七条の規定により責任を負うべきものとすれば、その責任者は、中田政吉であり、その死亡後は同人の相続人である。)被告は、その所有者でもなく、又原告のいわゆる間接占有者でもないことは、前記認定の事実及び理由から明白であるから、被告が、第二家屋の間接占有者兼所有者であることを前提とし、被告に対し、民法第七〇九条、第七一七条の規定に基く損害賠償を求める原告の請求は理由がない。次に、原告は、仮に、被告が、中田政吉に第二家屋の所有権を移転したとしても、被告は、第二家屋の所有当時に於ける該家屋の保存上に過失があり、且つ、無資力にして右家屋を直ちに取毀つ見込のなかつた中田政吉に贈与したりとして、急速に取毀つべき確実な手段を講ぜず、漫然成行に任せた点に過失があるから、民法第七〇九条の規定に依る賠償責任があると主張し、建築基準法第八条は、原告主張の如く規定しているけれども、同条にいわゆる建築物の所有者管理者又は占有者とは、現に建物を所有、管理又は占有している者を指称するものであることは、右規定の趣旨から明白である。しかのみならず、被告から中田政吉に第二家屋を贈与した際の前記事情からすれば、被告は、第二家屋が朽廃して居たので、中田政吉が明渡したなら取毀ち、その敷地を利用する目的を有していたが、中田政吉が明渡を為さなかつたので、已むを得ず、同人に贈与することとしたこと及び中田政吉は、請負業者であつたことは明かであり、当時中田政吉が第二家屋を取毀つ丈の資力を有して居なかつたことを認めるに足る証拠はないのであるから、被告としては、早急に中田政吉に於いて取毀つものと信じて贈与したものと推認するを相当とする。しかるに、中田政吉は約旨と被告の予期に反して容易に取毀ちを実行せず、遂に昭和二八年六月六日第二号台風の際第二家屋の倒壊を見るに至つたものであるから、その責任は、中田政吉に於いて負担すべきであつて被告の負担すべきものではない。

以上の理由により、原告の本件請求は、損害の数額につき判断する迄もなく失当であることが明白であるから、之を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡野幸之助)

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